研究計画の概要
本研究の学術的背景
混合感情としての悲哀美:不快は、一般的には生物個体として避けるべき状態である。負の感情価を与える不快状態に対して、正の感情価を与える快状態を追求するのが自然だ。快の科学も正・快感情を主体に研究されてきた。しかし、不快に積極的に価値を見いだす場合が人間にはある。例えば、自己犠牲的行動や道徳的行いである。自らを犠牲に他者を助ける行いは(利他自己犠牲行為)、個人にとっては(少なくともその時点で)損害や痛み、つまり不快(負の感情)を生じさせる。 一見生物としての個体生存に反するが、自己犠牲的行動は倫理や利他性など人間性の根幹に関わる。個人の快・不快という次元を超え、他者・集団に資する行動に自分を動機づけられることは極めて人間的であり、社会的生物である人間にとって重要な判断行為である。現代の合理的科学では見過ごされてきた、このような負の感情価の価値を議論してきたのが芸術や美学だ。悲しみや痛みを表現した悲劇芸術や悲しい音楽といった「悲哀美」から、我々は美学的にポジティブな価値(例えば美)を感じとることができる。 Cowenらによると、芸術等にみられる複雑な感情は複数の基本情動の配分により決まる(Cowen & Keltner, 2019)。悲哀美においても同様で、F.シラーが「人工の不幸」と表現したようにリアルな感情ではなく、「悲哀」という負の感情価と「美」という快の美的体験の混合感情とされる(e.g. Poetics, Aristotle)。心理学実験でも、悲哀美は複数の情動の混合であると示されている(Kawakami et al., 2013; 石津, 2019)。一方で、悲哀美が実際にどのような情動で構成された混合感情なのか、また、悲哀美の体験が最大となる情動配分も未解明である。 悲哀美と共感、利他自己犠牲行動:面白いことに、悲哀美を含む負の感情価をともなう美的体験が利他自己犠牲行動を促進する可能性が指摘されている(Ishizu & Zeki, 2013; Piff et al.,2015)。応募者の研究でも、悲哀美の体験により共感や他者の痛みの理解などに働きのある脳部位(中部帯状回、補足運動野)の活動を報告している(Ishizu & Zeki, 2017)。単純な快体験にはみられない性質である。このことから、悲哀美の体験が、社会的生物である人間にとって重要な能力(人間的品性に基づく判断や共感性)に寄与している可能性がある。 このことに着目し、近年、北米の医科大学では、悲哀美のように負の情動を表現する芸術作品の理解や感情理解を通して、医学生の共感性・利他的思考を訓練するプログラムが導入され、効果が報告されている(Mangione et al., 2018)。しかし、実証的な研究は未だ行われておらず、悲哀美体験がどのようにして利他的思考を促進するのか、その脳内機序は不明である。 上記のように、悲哀美の体験について、具体的にどのような情動で構成された混合感情なのか、また、なぜ利他自己犠牲的行為が促進されるのか不明である。これらの点を明確にするために、これまで定性的に議論されてきた悲哀美について、情動情報学の視座から定量的なアプローチで検証することが重要である。